2019年06月20日
見えない部分に思いを寄せる
こちらまでお越しいただきありがとうございます。
場面緘黙って、周りには見えない困難をたくさん抱えているため、伝えるってかなりの労力を必要としますね。
本人がSOSを伝えられるのが、唯一母親。(母親にも伝えられず、1人抱えている子どももいます!)
しかし、子どもの抱えていること、困難な部分を母親が伝えると、『本当に本人がそう言っているのか?母親の考えすぎ、過保護、過干渉ではないか?』になってしまう部分も多々あり、そのたびに、ダメージが来てしまいます。
場面緘黙の理解されずらいものの一つに周りからは、『困っているようには見えない』ことが挙げられるのではないかなぁと思います。
そのため、できているじゃない、本人はやれているじゃないと見られがち。
一部分の見えている部分だけを見て全てを判断してしまう。場面緘黙に限らず、人間の特徴的な見方の一つかもしれません。
ある人の一部分を見て、あの人はこうだと思いこむ。
皆さんは、いつもニコニコしている人を見るとどのように感じますか?
『あの人はいつもニコニコしているな。羨ましいな。悩みなんてなさそう』ったことはありませんか?
私たちはその方のある一部分を見て想像を膨らませる。
自分のいいように解釈する。
でも、見えている部分だけがその人の全てではないと私は思います。
その人は、もしかしたら、何か抱えているかもしれない。
過去にいろんなことを乗り越えて今があるのかもしれない。
全く何も困り感を抱えていない人なんていないと思っております。
場面緘黙の子どもたちは、駄々をこねたり、泣いたり、叫んだりするわけではありません。
困っていますという表情や動きを出すわけではありません。
みんなを困らせるようなことをするわけでもありません。
必ずしも表情=感情とは限りません。
微笑んでいても、困っていることもあります。
悲しくても、表情は変わらないこともあります。
嬉しくても、表情は変わらないこともあります。
みんなと一緒にできないわけではありません。
できているように見えることは、本人の努力、頑張りの姿でもあるのかなと思っています。
そのため、本人の抱えていることが周りには見えなくなってしまいます。見落とされてしまいます。
みんなと一緒ならやれるし、できます。でも、困っています。
あなた1人でやりなさいは難しい。
一緒にやろうなら動きやすくなる。
見えている部分が全てではないことを知ってほしいです。
何も感じていないわけでもありません。
せめて、場面緘黙の子どもたちに関わる人には
家での様子を知ってほしい。
一緒に居ないと、その全てを知ることはできないとは思いますが、家庭で起きていること、困っているのは本人だという事実をわかってほしいです。
場面緘黙に限らず、1人ひとりの抱えているものを分かろうとしてくださる方、心傾けて下さる方が一人でも居るとその人は救われます。
見えない部分に思いを寄せる。
相手の心に自分の心を寄せる。
簡単なことではないとは思いますが、共に歩き寄り添う方がいてくれると心強いです。

6月22日(土)は場面緘黙講演会が開催されます。
お申し込みいただきました皆様。ありがとうございます。
皆様と共に場面緘黙について学べること嬉しく思っております。
奄美にも場面緘黙について知りたいと思ってくれる方がいらっしゃるんだと思うと嬉しいな、有り難いなという気もちでいっぱいです。
6月23日(日)はかんもくネットおしゃべり会in奄美も開催されます。
皆様と共に場面緘黙についての時間を共有することができることを楽しみにしております。
このブログにお越しいただく方がいらっしゃることは、とても嬉しく思っております。
ありがとうございます。
苦しみ、悲しみの中にいらっしゃる方の心が少しでも軽くなるといいなぁと思っております。
最後までお読みいただきありがとうございました。
場面緘黙って、周りには見えない困難をたくさん抱えているため、伝えるってかなりの労力を必要としますね。
本人がSOSを伝えられるのが、唯一母親。(母親にも伝えられず、1人抱えている子どももいます!)
しかし、子どもの抱えていること、困難な部分を母親が伝えると、『本当に本人がそう言っているのか?母親の考えすぎ、過保護、過干渉ではないか?』になってしまう部分も多々あり、そのたびに、ダメージが来てしまいます。
場面緘黙の理解されずらいものの一つに周りからは、『困っているようには見えない』ことが挙げられるのではないかなぁと思います。
そのため、できているじゃない、本人はやれているじゃないと見られがち。
一部分の見えている部分だけを見て全てを判断してしまう。場面緘黙に限らず、人間の特徴的な見方の一つかもしれません。
ある人の一部分を見て、あの人はこうだと思いこむ。
皆さんは、いつもニコニコしている人を見るとどのように感じますか?
『あの人はいつもニコニコしているな。羨ましいな。悩みなんてなさそう』ったことはありませんか?
私たちはその方のある一部分を見て想像を膨らませる。
自分のいいように解釈する。
でも、見えている部分だけがその人の全てではないと私は思います。
その人は、もしかしたら、何か抱えているかもしれない。
過去にいろんなことを乗り越えて今があるのかもしれない。
全く何も困り感を抱えていない人なんていないと思っております。
場面緘黙の子どもたちは、駄々をこねたり、泣いたり、叫んだりするわけではありません。
困っていますという表情や動きを出すわけではありません。
みんなを困らせるようなことをするわけでもありません。
必ずしも表情=感情とは限りません。
微笑んでいても、困っていることもあります。
悲しくても、表情は変わらないこともあります。
嬉しくても、表情は変わらないこともあります。
みんなと一緒にできないわけではありません。
できているように見えることは、本人の努力、頑張りの姿でもあるのかなと思っています。
そのため、本人の抱えていることが周りには見えなくなってしまいます。見落とされてしまいます。
みんなと一緒ならやれるし、できます。でも、困っています。
あなた1人でやりなさいは難しい。
一緒にやろうなら動きやすくなる。
見えている部分が全てではないことを知ってほしいです。
何も感じていないわけでもありません。
せめて、場面緘黙の子どもたちに関わる人には
家での様子を知ってほしい。
一緒に居ないと、その全てを知ることはできないとは思いますが、家庭で起きていること、困っているのは本人だという事実をわかってほしいです。
場面緘黙に限らず、1人ひとりの抱えているものを分かろうとしてくださる方、心傾けて下さる方が一人でも居るとその人は救われます。
見えない部分に思いを寄せる。
相手の心に自分の心を寄せる。
簡単なことではないとは思いますが、共に歩き寄り添う方がいてくれると心強いです。

6月22日(土)は場面緘黙講演会が開催されます。
お申し込みいただきました皆様。ありがとうございます。
皆様と共に場面緘黙について学べること嬉しく思っております。
奄美にも場面緘黙について知りたいと思ってくれる方がいらっしゃるんだと思うと嬉しいな、有り難いなという気もちでいっぱいです。
6月23日(日)はかんもくネットおしゃべり会in奄美も開催されます。
皆様と共に場面緘黙についての時間を共有することができることを楽しみにしております。
このブログにお越しいただく方がいらっしゃることは、とても嬉しく思っております。
ありがとうございます。
苦しみ、悲しみの中にいらっしゃる方の心が少しでも軽くなるといいなぁと思っております。
最後までお読みいただきありがとうございました。